2017年12月19日火曜日

build blind and blend background with bend




はじめに、コムデギャルソン

振り返ることから始めます。
9ヶ月前のコムデギャルソン、2017 年秋冬で、わたしは一つの事態に反応しました。
話に入っていく前に、ファッションショーの「典型的配置」を確認します。映画館で映画を見ること、路肩や歩道でマラソンを見ること、どちらがファッションショーに近いかと言えば後者であり、次に、ディズニーランドのパレードと、 クラシックのコンサートを比べるなら前者がファッションショーに近いと言えます。

ファッションショーの典型とは、観者が左右に居て、モデルが中央を進み、先端でポーズをとりUターンをして戻る、というものだ、としておきます。
       
ただし、ファッションショーの空間には、マラソンや多くのテレビ番組と同様、観者の眼球に加え、もう一つの受容体が居合わせています。それはカメラです。 カメラは、Uの底の向こう側で待っています。これら二つの視線が、モデルを どう目撃するかといえば、左右に位置する観者は、モデルを斜め、あるいは横 から見ることになります。カメラはというと、ほぼ常に、モデルの前面をとらえていて、遠かれ近かれモデルの顔がこちらを向いています。

コムデギャルソンのコムデギャルソン(通称、本ライン)は、この、本稿で典 型としたランウェイ配置をよく選択しており、それを圧縮して用いています。 ランウェイ幅は狭く、観者は新作の服が膝に擦れるほど間近に並ぶのです。

2017
年秋冬の話に入ります。
観者はランウェイの舞台をコの字に囲み、カメラ はコの右辺の奥に置かれました。床も壁も、うすピンクがかわいい。照明はラ ンダムな高さに吊られています。そして、ピンクの背景にモデルが出て来ます。 モデルは蛇行しながら進み、時折、振り返る。一直線上、肩で風を切るモデル ウォーキングとは違って、重心のおぼつかない歩行はふわふわ。

ショー動画を一時停止します。
タブを新たに開き、メディア掲載のレポート写真を見てみると、そこには服の前面(モデルの顔がある側)を真っ向から撮りおさえた写真もありつつ、多くのルックで角度がついていました。カメラのアングルの多種性によって、背景が統一的でない点もサムネイルを見ると明らかです。縦位置 写真の長方形を舞台のエッジが斜めに貫いており、その線は、膨張途中のごと き服の輪郭とヴィジュアルな「くい違い」を生みます。

モデルの動きと配置によって、見慣れないルック写真がうまれたこの事態、またそうした状況が作られたことに、元気をもらいました。



ストリートスナップ

やや唐突ですが、ストリートスナップを二種類に分けます。声をかけ被写体を ポーズ(停止)し、撮影するもの。または、通りすがりに撮るもの。日本のス ナップサイトや雑誌では被写体の多くが受け身をとり、他方、海外のコレクション会場周辺のスナップは、被写体みずからがポーズをとって身構えることもありつつ、比較的、通りすがりのスナップが多いと思います。会場周辺のスナップは、撮影者と被写体の流動性ゆえか、アングルや被写体との距離にバリエーションがあります。対して、日本のスナップサイトにおけるスナップは、類型的な撮影形式をとっています。

書いておきたいことがあります。
それはインスタグラムで見受けられる盗撮的スナップについてです。通りすがり、声をかけず、スマートフォンで撮られたものであろうそれら。撮影者は、撮影に特化した(それを職にしている)人でないことなど、いろいろな点で、このスナップは上記の二種には分類できませ ん。強調しておきたいのは、こうしたスナップは、撮っていることを気づかれないようにするためか、被写体の視界に入らぬ位置から撮影されているものが多い点です。そのため、背面を写しているものがほとんどです。こうしたスナッ プこそ今最もリアリティがあるのではないか、と、メモしておきます。



背中はかくれんぼでもしているつもりなのか、それとも

コムデギャルソンのモデルの間隔は、背面を録画することを可能にしているし、またヴェトモンは二画面表示によって背面に場所を作りました。ありがとう!しかし、わたしがよく見てきたスナップやコレクションのレポート写真の空間的範囲には、ほとんど周到なまでに背中がありませんでした。


試着でもしよう。。。


姿見でも背中は見えないけれど、試着室ではたくさんの事件が起きてきました。
ハンガーにかかっている服を見てときめき、即試着していまいちだった時の哀しさ。反対に、着た瞬間、服の潜勢力と自分の潜勢力が引き出され合って、目新しい自分が爆誕した時のよろこび。買った服が手持ちの服に組み込まれることで、今までとは別のしかたで服が目覚めるのに立ち会い、あらためて、はじ めましてと挨拶をするときのうれしさ。 
ところで、わたしは、初めて人と会う時、多くは前面から関係をはじめ、そしてその時に「ファッション的な観点」からの判断は他の観点からの判断と比べ、 かなり手前で行われてきた、と振り返って思います。この人イケてる、この人 服はそんなに、という判断の主観さ度合いゆえに(主、と言いながらも、実は その価値基準なんぞ己のなかに確固としてあるものでもないことも)反省しま す。
でも、そうでしかない主観的判断は無意識みたいに行われていて、それは 大したことでもないのだけれど、判断はしている。ことは自分のスタイリング にしても同じで、うん、これこそだ! と、これは違う...と判定する、このはやさ。 また、昨日までかっこよかったものが、今、古く見えてしまう。こうした価値反転のめまぐるしさ。ただ袖をまくって丈を調整するだけでさっきまでマイナスな判断をしていたものが、急にプラスになったりする、このこと。

ありうる様態が、まだありそうだと思えること。ファッションはいつも即断とカテゴラ イズとともにあります。あるにはあるけれど、でも、その判断は変わりやすく て、分類はまたぎやすく、その軽薄さはそのままファッションの力であるよう に、わたしは思っているところです。



第一印象を前面に置くとして、第二印象主義を

T()P(場所)O(場合)は既にあるのではなく、服を着た人が発するシグナルの密度によって、作られていくものでしょう。そうしたシグナルが最初にある場所、そこが前面であり、かつそこが主なる場だと思われているのではないか。 本は2ページ目、3ページ目と続きます。けれども服は、どうも表紙止まりが 多い(ような場所に置かれている)

 第一印象がそのままで強化されていくのではなく、転じて、第二印象が生まれ、またひるがえって、という運動性を持った服に出会うと弾む思いがします。そ れはシークエンスで見ることが楽しい服で、前面と関係しつつ、分裂した造形 を背面に持った服。裏切りを性格として持つ服。前面で抱いた印象や判断が、背面を見ると、ときに大きく、ときに微妙にズレることの風通しの良さ。 ただし、ポジティブへの反転ばかりではないでしょう。ある服は、背面を見た 途端嫌いになったりするかもしれません。



演出をどうしたか

今回のショーにおける基本的な演出構成を言葉で書いてみます。
客席は、典型として仮定した配置のうち、カメラがいた位置に客席を並べました。いわば演劇の配置です。前後の反転がビビッドに見えるよう、ウォーキングにはカーテンの開け閉めを組み込みました。ショーの本編では側面が見える 比率をあえて減らすことにし、ユニクロメッキが被せられたアングル鋼材で骨組みを作り、梨地ビニールシートを壁面として張り、間仕切りを兼ねる箱を作成しました。
こうしてできた物によるカクカクとした仕切りと、さらに、モデルは各曲折ポイントのたびに止まるようにし、その交通によってフェノメナルな、見えるともなく見えてくる空間を期待しました。ランウェイは、固定ルー トのほか、いくつか例外となるルートも混ぜています。 フィナーレにおいては、角ばった歩み、徐行のテンポは遂行せず、典型的なフィ ナーレ形式をとりました。モデルが一気に過ぎ去ってしまうフィナーレ、最後 に「加速」を入れました。 
本稿では「典型」という言葉がよく出てきます。ただし、これは批判的にのみ用いているのではありません。紋切り型でしか語れないものがあること、その 紋切り型が紋切り型としてあるところのパワーを強く出せるような構成を求め ました。 

さて、音楽は、一粒一粒の音の出入りが遊戯的で、テンポラルな雰囲気と、ときに笑いをもつもの(それはつまり食品まつりさんの音でした)を。スタート 地点と助走をあらかじめ作っていただきつつも、当日の即興で展開し出来上 がったものが完成だとしました。 北村尚さんの写真からは、デジタルならではの澄みきった画面、ディファレン シャルフォーカスを特徴として受け取りました。焦点の合う距離がランダムに 変わることで、遠近の感覚にはバラエティが生まれています。



アクセサリーの形式

さいごに、服作りの方法論でもある「アクセサリー的なもの」について書きます。 それは、現にあるアクセサリーについても言え、もちろんそこから始まってい ます。では、ここで「アクセサリー的な」と言っているものの特徴をといえば、 小さく、軽く、とりはずしが容易く(家を出たら服は変えることが出来なくても、指輪を足し引きすることは比較的かんたん)、ささやかで小さいながらも、強く 全体に影響をするもの、と言うことができます。

「アクセサリー寄りの服」は、脱ぎ着、というよりも、付け足す、というほうが 適切であるような服です。じわじわきてると思いますが、布が腕部分のみのもの(手袋が腕のほうまで覆うようなものや、アームウォーマーのようなもの)や、 付け襟に第二ボタンぐらいまで布があるものなどです。こうした服ともアクセ サリーとも言い難いものが広げ始めているスタイリングの幅に、可能性を感じます。
 また、今回、というかほとんど毎年、繊維研究会は靴をお揃いにしています。靴は、 学生ショーの暗礁なのですが、それはいいとして、お揃いの靴に、とりはずしのできる装飾パーツを付け足しました。この追加によって、靴が「それぞれ」 になること、個別化されることを狙いました。 

何かを加えた途端に、それまでのものが転じて別のものである感触を帯びること。その操作は仰々しくなく、遊びのような軽さでもって行われること。あるいは、そうでなくとも。




繊維研究会ファッションショー「build blind and blend background with bend

20171210日(日)、北千住アートセンターBUoYにて配布。